カンフー・太極拳サークル 樊孟(はんもう)の会

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平常心  発表会を前に

←サークルのシャツできました!


平常心というのは
常に平らかな心と書くわけですけれども
なかなかどうして
そうはいきません。


私など瞬間瞬間
ざわざわと波立つこころを
どうしようかいと
思うばかりです。


私がこの言葉を
他人からもらったのは
実は夫が最初です。


まあ倦怠期と言いましょうか
お互いのことが
どうでもよいと言いましょうか
良くも悪くも
居ても居なくても
別段何ともないような感じのときに


これでいいのかと
問いましたところ
返ってきたことばが


平常心と愛着


でした


その時はまあ
そういうものかくらいに
思って
なんだか物足りないなあ
ドラマチックじゃないなあ
などと思いながら過ごして


今現在もいるわけですけれども
それは置いといて



樊先生と練習をするようになって
この言葉がふっと
降りてきて


「ああ」と


納得するというか
腑に落ちると言うか


そういうことがあります


先生との間にあるものは
なにかというと


平常心と功夫のもたらすもの


ではないかなと
思います


それは、生徒さん
ひとりひとりに
それぞれあるもので
掛け替えのない
唯一無二の経験であり
積み重ねであり


言葉のない
濁りのない清流が
先生と生徒の間に
さらさらと
流れるようでもあり


その流れ着く先に
思想や武術の体系があるとすれば
大きな大河に到る
一人の人からの
発端のような
ものかもしれません


出産でいうと
赤ちゃんの頭の先が
ちょこっと見える
発露っていう
奴ですかね。
(たとえがあっちこちですみません)



たとえそれが
日本人の
健康太極拳や
動きだけを
真似たものであったとしても
はじまりには
違いがないと
最近とくに思うようになりました


以前は
それと
私たちは違うような
いやな意識がちょっと
あったように思います


それはそれで
私の誇りに近いものでもあり
時には必要かもしれないです


さて、発表会をすると聞いてから
特段変わった練習は
しておりません


おりませんが


それぞれに
過ごしてきた
この会での練習の時間の
積み重ねを
自分こそが
分かってあげたいと思いますね
それを形にして
見せたいと強く思いますものね


だからちょっと
少し力が入ります


ですけれども
日々を信頼するとすれば
普通に
いつものように
気持よく
練習をするつもりで
事に当たれば
なんということは無いよ


ということも
一つありますし
(言うのは簡単)


発表会に、サークルとして
はじめて出る、と言う
課題をまず超えることから
次へまた
上がることができるとしたら
二回目は
これじゃいかんとか
反省が生まれてくるかも
しれません


いかんことなどは実際には
一つもないと思いますけど
それぞれの胸に生まれる
課題や葛藤を
それぞれがまた
日々の練習で
乗り越えていくことの
はじまりとなるのかなと
思っています


功夫


そして
それによってのみもたらされる
心の穏やかな状態
平常心


発表会を意識するから
だからこそ
この言葉を
何度も自分は口にして
おります


それって
普通じゃない証拠だよね!!


発表会をするっていうのは
これから先も
機会があればあるでしょう
何年も続けていれば
当たり前の行事になり
それこそ
平常心を
実感する日が
いつか、あるかもしれないですが


現在ただ今
そんなに
容易くない


家庭生活も
当たり前に
過ごせているようでいて
そんなに
容易くない


ということが
平常心と愛着
ということばだと
今はすこしわかります。



みなさんはいかがでしょうか。


練習はいつも通り
二年間ずっと
同じ練習と
少しずつ
新しく加わっていく
基本功で成り立っています


はじめのうち
太極拳に
こんな激しい基本功が
必要かと
思われていた方もいるはずです


二年やっておられる方は
この練習こそが
大切と
理解できる体に
なっているはずです。


一年の方は
動きが変わってきたことを
実感し始めているでしょう。


はじめたばかりの時は
どうやって動くべきか
まごまごしながらも
新しいチャレンジへ
子どものように
身体が喜ぶのでは
ないかなと思います。


それぞれのペースで
それぞれの太極拳を


平常心と向上心を
忘れずに
おりたいなあと思います。



ふざけたことを練習中に
かましますけれども
心はこんなに
真面目です(伝わりにくいですね、すみません)


明日も練習です。
宜しくお願いします。


サークル代表 波塚こひら=小平美佐で、平常心はあれだけど


あ、
功夫と愛着が
どうしてイコールになるか?


それはみなさん
ご自身が毎日
練習したり
ちょっと太極拳のことを
思いながら
頭の中で
動きをイメージしたりする中で
段々となんとなく
離れられなくなったりして
わかってくるかなと
思います


まあ言ってみれば
功夫
毎日続ける
生活
自然と湧く
なぜか
手放せない感覚


かもしれません。