カンフー・太極拳サークル 樊孟(はんもう)の会

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新年快楽

節分会ですね。

来週は
中国は本当にお正月。
春節になります。

春の予感があふれる
新年というのは
またいいものですね。


しかし、こちらは
節目しか書かない
みたいになっています。


最近ですね、

個人的な気持ちでいうと
公に軽口叩く間に
やることがあるだろう
みたいな気分も
多少あったのです。

申し訳ありません。(広報失格)


練習記録は現在
サークル活動中に
交換日記形式で
皆さんにも記入していただいています。

内部では
もうこれと
先生の毎週の授業の
助言ひとつずつを
どう拾っていくか

それが
各人各様の
練習日記ですね。



練習は
仲間とともに体を動かす時間

誰かと一緒に体を動かす時間
です

グループ練習の良さは
自分が気づかないことを
誰かが示して見せてくれたり
先生の伝える誰かへの助言が
自分には
引き出せないものだったりするので


一緒にいるだけで
濃い意味がありますね
意識さえあれば


家でやる
個人の練習とは
全く異質のものです


そして各人の今を
先生に見せて


正しい方向に
直してもらえるって


すごいことです。


このときは
自分の考えとか
いろいろ積み重ねてきた
理由とかがあっても


何にもない
ニュートラルな心と体で
先生の助言を吸収したい


素直でありたいなと


本当に思います。
(なかなかできないものです)


模範を示してくれる先生がいて


手順を先生が示します


といいますか
先生が完全なる模範を見せて下さっても
まずわれわれは
手順を覚えることで
精一杯だったりします


だんだんと
ぱっとみて
動きそのものを
塊で表現出来るからだが
できてくるでしょうが


最初は手順しか
呑み込めませんし
それすら
しっかり体に刷り込むのに
とても時間がかかります


ですから
動きというのは
映像イメージが入っても
細かくは再現してくのは
日々の練習による
型のストック
それを連続させていく基礎と応用力


これが不可欠だと思います


見るもの全て
先生がやると
うおーっとなって
初めて見るもののような気がしますが


これはあの時やってる奴
と言われて


あーと思い出したり(汗)


イメージするそれを
再現することのできる
身体能力は
個人個人差があるものですし
焦ったら負け
地道に練習をしていくだけですね



順番にやれるようになったら
やったーできた
終わり
では全くなくて



完璧!


にまで至る道のりは
観察力がついて
自分のそれが客観視できるように
なればなるほど
遠くなります(更に汗)


ここからが
実に長い長い
「完全なるもの」への
練習の始まりです


基本をしっかりと、と
私は何度も何度も
ブログに書いているんですが


なかなか
できないから
書くわけです




五歩拳


五つの歩法
もう2年も
毎週やってるけど
まだできてないですし


最近ようやく先生に


先生はこの動きをするとき
眼をどのように使って
いるんですかと
質問できるようになった
くらいで……



先生の動きを
直接目で見て
一緒に動いて
教えてもらいながら


まず順番を覚えて
細かい手先の使い方や
足先

眼とともに動く
身体全体
体幹


すこしでも
先生の動きに近づけようと
もがいている
生徒たち


軌道の描き方から
拳、掌、鉤の手
払うのか、打つのか、刺すのか
動きの中身

外側から見てどうか
内側では何が
行われているか


最初のうち
わけもわからず
ただまねて
順番やっていた昨日よりは
すこしは進歩したろうか


今なにしてるか
自分
わかってるだろうかと


動きながら


いる


感じです


先生が
我々の
おおよそ
習熟してきた段階をみて


頃合を見計らいながら


これはこういうふうに使うとか
こうするものだから
意図がそこにないと
無意味な動きになるとかを


教えてくださいますけれども


戦ったことないですからね


実際には
今一つイメージの
選択肢が
狭い我々です。


勉強足りないわけですね。


手本に示される
無言の動きからだけでは


その中身まで
掴めない自分がいることを
強く強く
自覚しています


一度見たイメージは
多少は残ってても


それを再現する
身体能力の差
練習量


そのことに触れたら
やってられないですから
無論おいといて


自分にできる範囲で
やるしかない


本当にもう
がっかりですよ


毎回毎回
そういう自分と
向き合うのって


うんざりします


でも
憧れる動きがそこにあるから
やってられます



基礎の筋力もね
そんな簡単につくわけないんですから
あきらめたらだめですね


今できなくてもいい
だんだんできるに変わってくる


お守りのように
わたしは自分に
いつも唱えています


数年コツコツやれば
私のように
もう50を超えても
実感できることですし
いくつからでも
スタート地点と比べれば
(老化の坂にいても)
進化を実感できます



先生は
いつだって


無理をしない


出来ないのは仕方ない

やる努力こそに意味がある


だからやめないこと


そうして
なんとか毎日でも
やってくれたらなあと


期待をこめながら
我々をみていますね


笑顔で毎回
応えて下さいますが
失望させることも
多々あるんだろうと思います


想像できますか?
先生が積み重ねてきた
本気の練習を!!



私は「本気の練習をしてきた先生の日々」を
想像するのです



そうして、
あなた
そこ
全然できてないと
指摘されたとき


私は
ようやく
ちょっと認められたかなと


変なことですけれども
思うんですね


先生が「練習」と考えて出てくる
それとは
私たちの練習は
もう
まったく質もレベルも違います


私たちのは楽しい
お遊びレベルですよね!


それでも
ようやく
助言をもらえるような
練習ができるようになってきたかな


武術のある広場にはまだ
遠い


手前のほうにある
誰でも入れる入り口から
こっちへくるかい?

まずそこに入って
見渡してみて
まだお茶やおかしいかがかい?
まあ、楽にして
いいよいいよ
お客さんだから


言われてるのかなと
思います


もっともっとと
思えば


客人扱いはもうできないよ
こっちへ来たら
厳しくなるよ


そうでないと
ケガもするからね
僕にしか教えられないことを
聞きたいなら
そのつもりで
いらっしゃいねと


我々も
そのつもりで
臨まないと
ならないと思います(きりっとします)



そうして
個人的には
新しい課題と
向き合う日々。


で。
ちょっと私は


越えなきゃいけない壁を
これから越えようと思っています。


それは
自分から何回も
先生に聞いて
何回も
先生に見てもらって
練習をするということです。


なーんだそんなこと?と
あなたいつも
しているじゃない!!

思われる向きもあるでしょうが


私はそこまだ
覚悟が決まってなくて


ちょっと慣れないことなので
もぞもぞしてしまいます。


自分のために練習つけてもらうなんて
もったいないと
つい思う癖が
いつのまにか
ついてしまったんですね。


これは
代表という仕事を
引き受けるようになって
極端に強くなりました。


ですが
これからは
私の練習を
ただするためだけに
練習に行くことが
多くなるかなと思います。


ますます


練習を
頑張ろうということなんですが。


ですので
他のこと考えなくなること
多々あります。

笑ってなくても
眉間にしわ寄ってても
楽しいですから!!


心配しないでください。


どうかみなさん
不器用な代表ですので
さまざま
お助け下さいますように。


つまり
みんなの世話焼いたり
全体見渡してみるような
なんというか
余裕かましてるような状況ではなくて
もう
おけつに火がついてるから
そこんところ、
見逃してほしいっていう
告白です。


そんな覚悟って
あんまり聞かないですけどね。


今年も一年

わたしには今
先生がいて
そして
皆さんがいて


そして
できるだけいつも私もいて
丸い丸い円を描いて
練習を始め
練習を終わりたいと思います。


我々の練習を
満たしているさまざまに
感謝したいです。


それぞれの求めるものを
それぞれが得て
帰路に着く
教室でありたいです。


よろしくお願い申し上げます。


今日も丸く円を描いて、練習を始め、終わりましたよ。